1999/7/5号
信金各団体総会開く
6月下旬、信金業界団体の総会が一斉に開かれた。 長引く景気低迷、消費渋りから、全信不動産では収益が減少。 しんきん保証基金は代弁が過去最高となった。 しかし、しんきんクレジットは、JCBカードの取り扱い開始が追い風となり、当初計画以上の業績。しんきん情報システムセンターは、共同センターのバックアップシステム稼動などの新規業務の増加で、売上が9%増となった。

全国信金決算、減収減益に
六月二十四日の全信協総会では全国信用金庫の今年三月末決算の概況が述べられ、業純が二割の減少、当期利益が三割の減少の「減収減益」。一方、目的積立金を取り崩しての償却が進み、業純の一・八倍もの引当が行われ、資産の健全化が進んだことが報告された。また、  今総会では理事補選が行われ、岡崎・伊藤昭治理事長、北九州八幡・古川育史理事長、鹿児島相互・秋葉重貴理事長が選任された。

全信協社会貢献賞に東調布信金ら
六月二十四日の全信協総会で、信用金庫社会貢献賞の表彰が行われた。 今回は、会長賞に東調布信金。 Face to Face賞に稚内、高田信金。 奨励賞に旭川、帯広。 特別賞に熊本中央信金、長野県信協、静岡県信協。 個人で小川重喜さん(鶴来)、 小谷野友義さん(岡山相互)が表彰を受けた。

PRコンで横浜信金が会長賞
全信懇では、六月二十三日、平成十一年度総会を開き、平成十年度PRコンクール各入賞者の表彰と、全信懇の状況について報告を行った。  PRコン会長賞は、「クラシカルモダン」をコンセプトに、「横浜レトロ」の企画で、大正時代から昭和時代の雰囲気を醸しださせるようにした横浜信金のカレンダーが受賞。  全信協会長賞には、朝日信金のポスター。 全信連理事長賞に、三浦藤沢信金並びにトライバンクのシンボルでもある鳥のイラストを使ったクリアファイルがSP部門での表彰となった。  また、共栄火災しんらい生命賞が、大阪市信金の宝塚女優の霧矢大夢さんを起用したポスター。富国生命社長賞は江戸川信金が、共栄火災賞は日本海の魚をモチーフにしたカレンダー制作の日本海信金がそれぞれ受賞した。

「貸すも親切、貸さぬも親切」−小原語録は生き続ける
今から二十六年前の昭和四十八年に、小紙が初の出版企画として上梓した「貸すも親切 貸さぬも親切」の原本である『小原鐵五郎語録』の出版を、当時、快く承諾。出版後も強く推奨してくれたのは、小原会長の名女房役−補佐役として、また小原会長が長年に亙って育ててきた名実ともに後継者と言われた故・杉村安治理事長であった。
「俺と小原会長は、年齢こそ十四歳ほど違うが、人間としては雲泥の差があるんだ。俺がかつて羽田支店の一係長の時に、小原会長はすでに専務理事。部屋だけは、いま俺は会長の隣だが、その力関係は昔のままなんだよ。一係長と専務理事の間には、百二十人の役職員がいたんだ−」というのが、生前の杉村理事長の口癖であった。
「俺と小原会長の付き合いの中で、最も重要な仕事の一つを君(大塚)に任せるのだから、しっかりやってくれよ。出版期日は、昭和五十五年八月十日の当金庫創立三十五周年記念日までだ!」。  単行本ができあがったとき、最も喜び、小原会長にいち早く報告。早速贈呈したのは、もちろん杉村理事長自身であった。  小原会長は、自分の言葉で最初に出版されたこの「語録」単行本を、ことのほかお気に入りだったそうで、杉村理事長が会長室に入るたびに、いつもしみじみと本のページを開いていては読み返していたという。
 その杉村理事長は、それから七年ほど経った昭和五十五年九月二十一日、喀血性胃潰瘍に心筋梗塞を併発して急逝された。
 そのとき、小原会長は絶句したと言われる。
「何で、私が杉村君の葬儀委員長を?順序が逆ではないか−」と心底、嘆いていたと言われた。
 小原会長の「この道ひと筋六十年」のうち五十年近く一緒だったと言われる忠孝の人、杉村理事長が残した最後の事業が、この語録と第一回目の『小原鐵五郎伝』出版の決断であった。
 今や両人ともこの世に無く「富士の裾野金融」「貸すも親切 貸さぬも親切」等の著名になった「語録」だけが、後進に静かに読み伝えられ警鐘を鳴らし続けている。
 なお杉村理事長は、大正二年四月十日生まれの享年六十七歳。丑年。生前愛用していた形見の「鐡牛」は、いま記者の机上にある。

存在意義を再確認ー「信金の日」、各地で多彩な催し
全国各地の信金でさる六月十五日、 四十八年前の昭和二十六年の信金法施行を記念する信金に日のキャンペーンが行われた。 不況そして相次ぐ金融機関の破綻など、 金融が不安定な今日にあって信金の“堅実経営・地域に貢献する精神”を広く一般に知ってもらうのが趣旨。

西暦2000年問題、金融機関、対策完了へ急ピッチ





バックナンバー読みもの出版のご案内