1998/2/25号
特集・地域金融の今後ー十年も前からリストラと資金運用に注力。
先々を見据えた経営戦略に「冴え」が。
三重信金・青田理事長ロングインタビュー

 三重県松阪市は、今日最高級の松阪牛の産地として有名だが、遠くは織田信長の後継者といわれ信長・豊臣秀吉二代の天下人に仕えた戦国の武将蒲生氏郷が、城を築いたことを起源とする。蒲生氏郷は、キリスト教の洗礼を受けキリシタン大名として有名だが、積極的に海外の考えや方法を取り入れ、松阪を安土・京都・大阪を繋ぐ交通の要衝として発展させた。この氏郷の先見の明・進取の気質を受け継いで江戸時代には、それまであってないような呉服や反物の値段を、店頭で表示して爆発的な人気と売り上げを誇った「日本橋三越」の前身である「越後屋」―三井財閥の礎を築いた三井高利が出るなど、著名な松阪商人が多く出ている。
 同地域は、伊勢詣や特産の松阪牛以外これといった産業がないにも関わらず、商都松阪ということで、東海銀行や百五銀行、三重銀行といった旧地銀や、第三銀行、幸福銀行の第二地銀が軒を連ね、東京並の業態間競争を繰り広げている。
 しかしながら地元松阪市をエリアとしている三重信金では、こうした松阪の伝統を受け継ぐかのように、預金量二千七百五十一億円ながら業務純益を七〜八%(平成九年三月期)伸ばし、三十八億円もあげた。これは地方ながらも都市部金融機関並の資金運用が功を奏するとともに、十年前からリストラに着手したことが好結果を結んだ。
 昨年十月には金庫名を松阪伊勢から改名し、平成九年・十年度にはさらなる店舗展開を図るなど積極策に出る三重信金・青田良太郎理事長に、地方における資金運用のあり方、地域戦略について聞いた。



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