2004/4/25号
創刊45周年記念
−出版を通じて信金の歴史を振り返る
 信用金庫制度は、昭和二十六年に議員立法により信用金庫法が制定されてから始まるが、弊社・金融タイムス社は、昭和三十四年二月に創立以来、中小企業金融・庶民金融の専門金融機関として活躍し発展してきた信用金庫業界の歩みと共に歩んで来た。
 信用金庫制度五十余年の歩みは、全信協、信金中金等でまとめられた年史・誌に詳しいが、しかしながらその歴史は、まさに人の歴史そのものでもあった。  弊社ではこうした創業者の方々を全国的にピックアップしながら、その活躍の状況を事実に基づき編集出版し、伝記として創らせていただいてきた。
 本紙創刊四十五周年を迎えたいま、時代時代の節目で業界の流れをしっかり見据えてきたこれら創始者・創業者の方々の功績を、当社出版物の実績と共に振り返りながら、今回と次回にわたって信用金庫の歴史を次に振り返ってみた。


「貸すも親切、貸さぬも親切」
「小原語録」は、キンタイ出版が昭和四十八年に

○小原鐵五郎語録―庶民金融の真髄をつく(金融タイムス出版部、昭和四十八年八月発刊)

「貸すも親切、貸さぬも親切」の語録は今では、金融機関融資のバイブル的名言となっている。
 元・全信協会長・全信連会長で元・城南信用金庫会長だった小原鐵五郎氏(平成元年一月逝去)が、常日頃、語っていた箴言を「庶民金融の真髄をつく」と題して弊社でまとめた。
 熱烈な小原会長の崇拝者で、小原会長自ら名実共に後継者と認めた当時の城南信金・杉村理事長(故人)の薦めもあって出版されたもの。
 金融機関は金を貸すことが商売だが、時としてお節介といわれようが、相手企業の立場を考えて貸さぬ配慮をすることも結果的には親切となるのではないか。戦前の信用組合時代から協同組織金融一筋に金融経験していた故・小原氏だったからこそ、その一つ一つの体験に裏付けられた一言一言が、大変重みのある言葉=箴言となった。

信金の歴史は、人の歴史
−出版で振り返る信金の歴史

−草創期、発展期の人々から


〇笠原慶蔵伝(同栄信金創始者)
〇石井鐵太郎伝(東京産業信金創始者)
〇志津義雄伝(興産信金創始者)
〇追想 河合甚助翁(岐阜信金創始者)
〇松尾高一伝(尼崎信金創始者)
〇長野高一伝(朝日信金創始者)
〇長久保定雄伝(東調布信金創始者)
〇新納 巌伝(八千代信金=現八千代銀行創始者)

−発展期の人々

〇栴檀のかほり−美並精神と新堂友衛理念
〇追悼 笠原慶太郎(同栄信金元会長)
〇加藤敬吉−岐阜信用金庫七十年史
〇決断 茂木 勇(西京信金元理事長)
〇矢澤洪三遺作集(仮)(亀有信金前会長)


出版のご案内弊社出版物のご案内


日本振興銀行スタート
 中小企業金融専門を謳った新銀行「日本振興銀行」(本店・東京都千代田区大手町)が四月二十一日開業した。


尼崎・金沢、システム共同化へ
−ユニシス、関西共同センター構想を



地元地公体から感謝状を
−川口信金、八十周年記念の寄付で



被害金を返還へ!
−京都中央信金、オレオレ詐欺で



人事異動
〇川口信金
〇興産信金


春の園遊会に招かれて…
 天皇皇后両陛下のお招きにより、小社社長・大塚一雄と副社長・大塚トクが、四月十五日開催の「春の園遊会」に参会した。

春の園遊会にお招きを受けて
大塚一雄

 
 不肖記者、大塚一雄は、このたび妻、大塚トクと共に、天皇皇后両陛下のお招きにより、春の園遊会に参会する大変な栄誉に浴しました。
 社団法人 日本専門新聞協会の推薦によるもので、長年、専門新聞社として金融業界の新聞報道とそれに関する出版事業等の実績が認められたものと思われます。
 とくに記者は、昭和三十四年二月に『金融タイムス』を創刊以来、四十五年間、金融業界の中でも最も社会性のある協同組織金融機関として、中小企業金融に徹する信用金庫業界専門の報道・出版事業に努力して参りました。
 今回の栄誉は、株式会社銀行等の過剰金融によるバブル経済崩壊後の企業再生期にあって、いまなお公的資金を一銭も入れず、ひたすら国家社会の発展に尽力する信用金庫業界諸先輩の皆さまの、絶大なるご支援とご指導があったればこそ、と深く肝に銘じております。
 園遊会当日の状況と雰囲気を報告しながら、業界の皆さまに感謝の気持ちの一端を表させて頂きます。
 ありがとうございました。
  平成十六年四月十五日




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