2001/4/15号
信金法50周年・創刊1000号記念座談会
信金法制定の慧眼、いま着実に実結ぶ
−青梅・齋藤会長、多摩中央・中嶋会長らが語る「信金誕生秘話」

 大塚 ご案内のように、今年の六月で、昭和二十六年六月に信用金庫法が制定されてから、満五十年となります。
 十月から施行されたのですが、いずれにしましても、信用金庫にとってこの五十年の節目は、たまたま二十一世紀の始まりである二〇〇一年に迎えたわけです。
 本紙も昭和三十四年春に創刊以来、今回の新聞で丁度千号となりますので、非常に記念すべき座談会と言うことになります。
 今日は信金法制定五十周年記念特別座談会ということで、青梅信金・齋藤文夫会長、多摩中央信金・中嶋榮治会長さんにお忙しいところご出席いただき、また全信協・全信連OBの森内善一さん、全信協OBで昨年暮れまで信金厚生年金基金常務理事を務められました古田敬一さんにも制定当時の全信協の状況をよく知る立場から、ご参加いただきました。
 特に今日お出で頂いた青梅信金の斎藤文夫会長さんの場合には、昭和六年に青梅信用組合に入職されましたので、今年で金庫歴満七十年。
 また、多摩中央信金の中嶋榮治会長さんの場合も昭和十三年六月に多摩中央信用組合に入職されましたので、今年で満六十三年勤務されており、信金法制定当時を知る数少ない現役会長さんのお二方であります。
 したがいまして、信金法制定五十周年の記念すべき座談会を開かせていただくという点では、まさに最適なお二方だと思います。
 また信金法制定当時を含め信金業界発展の過程については、全信協創立当時のOBであり全信連OBの森内さんと、古田さんに、諸々の話などをお聞かせいただければと思います。

○地元になくてはならぬ金融機関として…
○営利目的の株式組織でなくて良かった
○当初は「中小信用銀行」「庶民銀行」も名称の候補に
○行政圏越え、営業エリア拡大が信金発展の礎
○店舗の認可を取るのが大変な作業だった…
○「雑金融」扱いに、「実力をつけよう」との河合氏(岐阜)の言葉で業界が発奮
○「協会が役目を果たしていない」と、三多摩地区がこぞって脱退
○口座振替実現に十年かかった
○全信協の長計と小原元会長が業界飛躍のカギに
○株式会社になってたら今頃、銀行に併合されていた



協同組織の株式会社化論、再燃へ
 協同組織金融機関の「株式会社化」の動きが、今、政界、当局筋で蠢いており、「今夏以降の金制(金融審議会第二部会)で俎上に上る」との見方が関係者間に広がっている。古くは、昭和四十三年の金融二法制定時に、「数の多い協同組織はすべて銀行に転換させ、銀行と合併させよう」とする当局筋が、滝口、末松、川口の三試案を発表。これに当時の全信協・小原鐵五郎会長が「ムシロ旗立てて国会を取り巻いても断固阻止する」と徹底抗戦して、協同組織の株式会社化を阻んだ経緯があるが、「今回の株式会社化の動きには、うかうかしていると、我々協同組織金融機関側が押し切られるのでは…」(関係者)との危機感も強い。

●相次ぐ再編で大型広域化
●一本化で銀行化する業態も出現
●はなから協同組織理念のない金融機関も
●農協の再編事情
●どれだけ理論武装できるのか
●昭和43年の金融ニ法
●末松、滝口、川口試案とは?

  

<特別資料>都内信金、信金法制定時から現在までの系譜
 

公益法人にメス、金融庁、立入り検査実施へ


しんきん中金、資本増強策スキームの詳細決まる





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